川崎病の大流行と時代背景

先日に載せた記事から川崎病のデータを見て、不自然にグラフが跳び跳ね大流行しているヶ所が2ヶ所有りました。

今現在は、その年の大流行を遥かに上回っていますね。

これは異常な事だと思います。

『目眩・耳鳴り』
https://blogs.yahoo.co.jp/lamb_raisin_vanilla/38243428.html

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一つ目は1982年。

この年の日本の国内情勢を知りたくなり調べたら、この様なサイトが有りました。

『1982年昭和戦後史』
http://shouwashi.com/sp/1982.html

興味深かったのは日航機の墜落事故です。

その事故が起きたのは、ホテルニュージャパン火災事故の翌日だったそうです。

機長は精神疾患を患っていたとされています。

Wikipediaから一部抜粋】

原因

この事故の直接の原因は機長の操縦によるものである。機長が機体の推力を急激に減少させながら機首下げを行ったため、機体は急に下降して滑走路の手前に墜落した。

機長は、まだ副操縦士であったこの事故の6年前に初めて幻覚を見ており、それ以後、初期の精神分裂病うつ状態心身症などと診断され、聖マリアンナ医科大学病院の医師、会社の常勤内科医、非常勤精神科医らの診察、治療を受けたが改善せず、事故直前には「ソ連が日本を破壊させるために日本を二派に分断し、血なまぐさい戦闘をさせているんだ」などの強い信念(被害妄想)を抱くまでに至っていた。

事故当日の350便の乗務中には、「敵に捕まって残忍な方法で殺されるよりも、自分から先に死んだほうがマシだ」という妄想を抱くに至り、しばらく恐怖に震えた後に現実に戻るという精神状態にあった。羽田への着陸降下中、高度200フィートに至り副操縦士が「ミニマム」とコールアウトした。本来は「ランディング」(着陸する)または「ゴー・アラウンド」(復行する)と答えるべきだが、機長は「チェック」というのみだった。そして、350便が200フィート以下に降下した後、突然「イネ、イネ、……」という言葉が機長の頭全体に響き渡った。機長はとっさに「死ね、死ね、……」との命令と理解し、手動操作に切り替え操縦桿を押し込み、エンジンを逆噴射させた。

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ホテルニュージャパンの火災事故は子供ながらにして知っていましたが、航空機事故は全く記憶が有りませんでした。

私が小学校4年生の時の事故です。

今思えばこれって、エレハラによる大規模なテロだったのでないかと思わざるを得ません。

川崎病の異常発生との関連性を疑う余地は無いのでしょうか…。

不可解な事故だったと思います。

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『1985年昭和戦後史』
http://shouwashi.com/sp/1985.html

次に川崎病が大流行した1985年の歴史では、又もや飛行機事故が起きていました。

08/12 日航ジャンボ機123便群馬県に墜落、女性4人生存、乗客乗員520人死亡、世界最大の航空機事故。

これは私も記憶に有ります。
私が中学校1年生の時で、救出された川上慶子さんとは同学年だったので、救出された時の映像が衝撃的でした。

この事故の件で当時の中曽根総理が「墓場まで持っていかなきゃならんことがある」と言ったという情報が有りますが本当でしょうか。

この年の12月から翌年1986年の5月までに川崎病の異常な大流行があったそうです。

亡くなられた全ての方の、ご冥福をお祈りします。