自衛隊との関わりと思い出

エレクトロニック・ハラスメント(テクノロジー犯罪)を行っているのは自衛隊防衛庁の一部の裏組織であるという根拠を持った専門家の意見も有ります。

私はその可能性を否定はしません。

私が死んだら、誰がこの様な残酷極まりない事を仕出かしているのか、真実を知ることが出来ると思います。

私の初恋は保育園の時で、相手は自衛隊員の息子であるタツル君という子でした。

母に誰が好きなのかを聞かれたら真っ先に「タツル君」と答えていました。

苛められていたのを助けてくれた記憶が有ります。

正義感の強い男の子でした。

私の住んでいた村には、3角形の山の頂上にレーダーが配備されていて、その管理の為なのか、数件の宿舎が建てられ、自衛隊員の家族が住んでいました。

その自衛隊員の子供達が私と同学年の子だけで3名いました。

タツル君は小学校に上がる前に引っ越してしまいました。

もう一人の女の子は小学校2年生に上がる直前に引っ越ししてしまい、残った一人の女の子『J子ちゃん』はクラスの女子軍団からの虐めに遇い、J子ちゃんの両親が我が家に菓子折を持って来て、KUMA子ちゃんは虐めに可鍛していないと娘が言うので今後も仲良くして欲しいと言われました。

それ以降は学校ではJ子ちゃんと一緒にいる事が多くなりました。

自衛隊=悪いという事を口にする大人の話を聞いた子供が感化され、自衛隊員の子供への虐めに発展してしまったという流れの様でした。

私の母はそういう事を一切言わない人でしたから、自衛隊が悪いと思った事は有りませんでした。

私も5歳の頃、両親が離婚した直後、村の女子軍団に酷い虐めに遇ったので、学校でも女子とは遊ばず、休み時間は男子と野球などをしていました。

男子からは一切虐められませんでした。

放課後は、近所の両親が離婚して親戚に預けられていた姉妹とだけ遊んでいました。

それすらも村の女子軍団は気に入らなかった様で、親戚の家に預けられていた姉妹に「KUMA子とは遊ぶな」と吹聴してきたのですが、姉妹はそれをきっぱり断り、正々堂々と遊んでくれました。

小学校3年に上がる直前にJ子ちゃんもとうとう転校して行ってしまいました。

1981年ですね。

1981年に何があったのかを調べて見ました。

『戦後昭和史1981年』
http://shouwashi.com/sp/1981.html

前年の1980年1月18日には、自衛隊スパイ事件があったそうです。
ソ連大使館員に情報提供の元陸将補と現役警官2人を逮捕』と有りました。

色々有ったんですね。

今は、自衛隊員の宿舎は全て取り壊され誰も住んでは居ません。

青森の三沢基地に重点を置いているのでしょうか。
こちらのレーダーには用事が無さそうです。

にも関わらずマスコミは、私の村の真上を北朝鮮のミサイルが、さも通過したかの様な紛らわしい虚偽の報道をしました。

Jアラートが発動された時です。

おかしいなと思っていましたが、やっぱり通過したのはもっと南であり、三沢基地をターゲットにしていたという事でした。


北朝鮮のミサイルは、実は三沢基地を狙っていた可能性
飛び越えたのは北海道ではなかった』
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/52845