新米先生の思い出

小さい頃から苛められていた割に、母が沢山笑わせてくれていたし、面白い兄弟もいたし、近所の姉妹も仲良くしてくれたお陰で、1.2年生の頃は能天気に小学校生活を送っていました。

1.2年生の時はベテランの年配の女性教師が担任でした。

冬の寒い日は、ストーブの上に置いてある湯沸かし容器に給食の牛乳瓶を入れ温めてくれました。

厳しい先生でしたが、感情を顕にする事のない、分け隔てなく生徒に接する先生でした。

3年生から新米先生(若い女性)が担任になりました。

J子ちゃんが転校してしまったのと、男子に「KUMA子ちゃんは女子だから」と言って野球に参加させて貰えなくなったのもあり、3年生になってからようやく徐々に女子と遊ぶようになっていきました。

ある日曜日、女子数名と遊んでいたら、「今日は新米先生の誕生日だよ」と誰かが言い出したので、先生に花をプレゼントしようという事になりました。

多分、言い出しっぺは私でした。

野山に咲いている花を摘み取り、先生の住んでいる教員住宅へ行きベルを鳴らしたのですが、先生は留守の様だったので、摘んだ花束を先生の家の玄関前に置いて帰ったんです。

翌日の月曜日の朝、新米先生が、『ガラッ!ピシャッ!』と凄い勢いで扉を開閉し、口をへの字にして教室に入ってきました。

何でか知らないけれど怒っているのが見て分かりました。

教壇に立ち、持っていた書類をパーンと机に叩き付け、開口一番にワナワナと震える声で「昨日、先生の家の玄関にイタズラをしたのは誰ですか!」と声を荒げ怒鳴りました。

ビックリしました。

昨日の出来事を瞬時に思い出していたのですが、イタズラをしたという覚えは無かったので、私達が去った後に誰かがイタズラをしたのかな?と思っていました。

私は前から二列目の席で、後ろを振り向いて一緒に遊んだ子達を見たけれど誰も手は挙げていなくて、再度、新米先生が「誰なんですかと聞いているんです!」と声を荒げました。

よく分からないけれど、一応先生に昨日の出来事を話したくて私は恐る恐る手を挙げました。

「前に来なさい!」と言われ前に出て、先生に昨日の誕生日プレゼントの事を話そうとしたら、いきなり平手打ちのビンタを食らいました。

「あの…」と言い掛けたら、

「言い訳は要りません!」と、般若の様な形相で怒鳴られ、私の目から涙がこぼれました。

一緒に遊んだ女子は終始無言でした。

摘んだ花が風で吹き飛ばされ散らかった様な形だったのかも知れません。

先生に花を摘んで持っていこうと言い出したのは私ですから、仕方がないと思いました。

その頃、日本は戦争で他国に酷い事をしてきたのだという思想教育を受けました。

戦争はいけない事だというのはよく理解出来ました。

でも新米先生が「差別はいけないんです!」という事を何度も言っていたけれど、私の心には響きませんでした。

差別はいけない事だけど、新米先生の様な性格の人が、そんな事を言っている事に矛盾を感じました。

その内、私は授業をサボるようになりました。

新米先生の声を聞くのも嫌になってしまったんです。