小学校5.6年生の頃の記憶

小学校5年生になり担任が代わりました。

男の先生でした。

クラスは1クラスしかなかったので、皆、保育園からの顔ぶれです。

学級崩壊をしていたクラスを受け継ぐ事で、先生は色々な工夫をしてくれました。

音楽の授業は浜に降りて岩場で海を見ながら歌を歌ったり、理科の授業は沢に入ってシダ植物を採取し観察したり、課外授業で夜にグラウンドに集まって星の観察をしたり…楽しい思い出しか有りませんでした。

クラスに一人、知的障害のあるM子ちゃんという女の子がいました。

M子ちゃんも保育園の頃から一緒でした。

色白で唇がピンク色で可愛らし顔立ちでしたが、無口で殆ど喋らない子でした。

お兄ちゃんも知的障害で養護施設に行っていましたが、M子ちゃんは知的障害があっても普通のクラスでした。

1.2年生の頃は何も問題もなく目立たなかったからなのか、私の記憶には有りません。

3年生の頃から授業中にお漏らしをする様になり、又、洋服も毎日着替えないので尿臭が漂う様になり、席替えで机が隣になった子は「臭いから嫌だ」と言う様になりました。

当時バリヤン(内地ではメンチ切ったとか)が流行っていた事もあり、虐めの対象になりました。

私も汚いとか臭いと言ってしまい、M子ちゃんが目から大粒の涙を流し泣いていたのを皆で笑っていた記憶があります。

本当に本当に、酷いことをしたと思っています。

5年生になってもお漏らしが続いていて、教室中がM子ちゃんの匂いで充満していました。

クラスで、お漏らしをしない為にはどうしたら良いかを話し合い、トイレに行く時には声を掛け一緒に行くとか、授業中もトイレは大丈夫かの声掛けをするとか、そんな事をし出しました。

6年生になったら、お漏らしは無くなりました。

それなのに匂いは消えませんでした。

6年生は1年生の教室を掃除する事になっていて、その時、1年生で私にオンブをせがんでくる可愛い女の子がいたのですが、その子はM子ちゃんの妹でした。

妹は知的障害ではなく利発な子でしたが、やっぱりちょっと臭い匂いがしたので、風呂に何日おきに入っているのかを聞いてみたら「風呂釜が壊れたから入っていないよ」と言うので、どれくらい入っていないのかを聞いたら「ずーっと入っていない」と言うので「1ヶ月?2ヶ月?」と聞いたけれど「わかんないくらい」と言うのでびっくりしました。

M子ちゃんのお母さんも知的障害だった様です。

遠足の時、M子ちゃんの弁当のおかずがウインナーのみでした。

うちの母が作った弁当も魚の煮付けとか汁だくの豚肉炒めとかで大概なものでしたが、おかずが一品だけというのは流石に不思議に思いました。

お父さんは出稼ぎで遠くに働きに出ていっていたので、どんな事になっていたのかは分かりませんが、風呂釜が壊れても修理しないままだった様です。

そう言えば昔は村に銭湯があったのですが、各家庭の風呂場設置が増えたので、私が小学校3年生くらいの時には廃業していました。

M子ちゃんの髪の毛はいつも固まっていました。

妹に風呂釜の事を聞いた後、M子ちゃんの首筋にびっしりウロコの様に垢が固まって引っ付いている事が分かり、そこから酷い悪臭がしました。

ある日の昼休み、他の女子の目を盗んでM子ちゃんを誘い保健室に行きました。

キリスト教徒の保健の先生は転勤になって、その時は別の茶髪でミニスカート風のキュロットにハイソックスで白衣を着た若い女性が保健室の先生でした。

茶髪ミニスカ先生にM子ちゃんの首筋を見せたら先生もびっくりして、「ちょっと拭こうか~」となり、洗面器に湯をはり、先生と私と二人でタオルで拭いたのですが、なかなか取れませんでした。

昼休みが終わり又明日となり、何日か掛けて首筋から白い肌が見えました。

全部の垢が取れたら悪臭が殆ど消え、M子ちゃんに「臭く無くなったよ!」と言ったら嬉しそうな顔をしたので、私も嬉しくなりました。

保健室の茶髪ミニスカ先生から担任~親へと報告が行ったのか、その後、M子ちゃんが風呂に入れた様で、服もきちんと洗濯され、全く悪臭が無くなりました。

クラスの子達はもう誰も臭いとか汚いとか言わない様になったし、私は休み時間になったら、M子ちゃんの手を引いて校庭に遊びに出ました。

修学旅行が近付いて来たある日、担任がクラスの皆に聞いて欲しい事があると言いました。

「M子ちゃんの両親が、経済的な理由で修学旅行には行かせてあげられないと言うんだけれど」と…。

「先生が個人的にM子ちゃんの分の修学旅行費用を出そうと思うんだけど、皆はどう思う?」と聞いてきました。

私はその時、廊下側の前の席だったのですが、先生の言った事にビックリしたし、皆の反応が気になり瞬時に後ろを振り向いたら、クラスの子達、男子も女子も一斉に「賛成~!」と言って拍手しました。

「あ~良かった」と思いました。

今思えば、もしかしたら風呂釜も先生が治してくれたのかな?とか…。

本当に優しい先生でした。

無事に皆で修学旅行にも行けて、小学校を卒業しました。

M子ちゃんは中学校に進んでから普通クラスではなく特殊学級になりました。

中学を卒業し、私は愛知県に集団就職したけれど、M子ちゃんも京都へ集団就職しました。

後に、M子ちゃんに手紙を書きました。

小学校の頃、虐めてしまった事を手紙で謝りました。

M子ちゃんからも返事が来ました。

気にしていないという事と、好きなジャニーズの事が書かれていました。

何度か文通をしていたある日、本人不在という事で、送った手紙が送り返されて来ました。

辞めてしまったのかどうなのか、どうしているのか分からないまま…今に至っています。

時々思い出しては無事を祈って来たのですが、私が自殺未遂をして精神科に入院した時に、病棟にM子ちゃんのソックリさんが居たんです。

M子ちゃんのお母さんのソックリさんも居たし、姪っ子のソックリさんや、昔働いていたお客様のソックリさん、小学校の頃の同級生の男子のお姉さんのソックリさん等、病棟は、私が人生で巡り会ってきた人達のソックリさんがランダムに居ました。

エレクトロニック・ハラスメント(テクノロジー犯罪)被害者の方で他にも、精神科に入院をしたら加害者組織が自分の知り合いに【ソックリな人間を動員して】恐怖に陥れるというのをブログに書いている人を見掛けた事が有ります。

そう思ってしまう気持ちはよく分かります。

本当にソックリなんです。

それは脳に送られた映像と顔を融合した何かの技術かも知れません。

被害初期、旦那の顔をみるみる内に老人の顔に見せられたり、キッチンのタイルがカビだらけに見せられた事が有ります。

例えば東京駅や大阪城に映し出された3Dプロジェクションマッピング(スーパーイルミネーション)のもっと上をいった技術を脳に送り込み錯覚を認識させるという手法なものかも知れません。
(※確実な情報では有りません・経験上での憶測です)

【3Dプロジェクションマッピング
http://www.1999.co.jp/erumaer/m213.html

加害組織からソックリさんが動員されている訳ではないでしょう。

私が精神病院を退院する時、エレベーター前で見送ってくれた女の子2人を以前記事にした事が有りますが、それは、M子ちゃんのソックリさんと姪っ子のソックリさんでした。

【過去記事】
『去年の今日退院』
https://blogs.yahoo.co.jp/lamb_raisin_vanilla/37757346.html