万引きされても怒らない家族

是枝裕和監督の映画『万引き家族』が、カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞したそうです。

おめでとうございます。

どんな映画なのかと公式サイトのイントロダクションを読んでみました。

その中の言葉を引用します。

『足りない生活品は、万引きで賄っていた。社会という海の底をひっそりと漂うような家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、、、』と有りました。

万引きをして笑っていられる、良心が痛まないという感覚は、エレハラ加害組織に似ている様な…。

万引きをされたり泥棒を【された側の家族】に果たして笑顔はあったのでしょうか…。

ルパン三世の様に偽札を作って大儲けしている犯罪者のお宝拝借ならいざ知らず(それもダメっちゃダメですが)

レビューを読んでみたら、それ故(犯罪)に色んな落ちがある様ですけれどね。

疑似家族という物も取り入れている様ですが、「疑似家族というのも良いかもしれない」というレビューコメントに危機感を感じました。

疑似家族で思い出すのは角田美代子の尼崎事件です。

赤の他人を戸籍に入れたりして次々と凄惨な殺人が繰り返された事件です。

内部告発者がいなければ未だに世間には知られていなかったし犠牲者はもっと増えていたでしょうね。

万引きの話に戻りますが、私の祖父は生前小さな商店を営んでいて、それはスーパーとは違う、駄菓子屋でもない、今でいうコンビニの様な店でした。

私が小学生の頃万引きが流行り、同級生や年上の子達が祖父の店で万引きをし、それを自慢げに話している内容が私の耳に入って来ました。

祖父の店にはレジは無く、会計はソロバンを使っていて、私は小学校3年生からソロバンを始めた事もあり、4年生頃から日曜日には祖父の店で店番をし始めました。

それは万引きをさせない為でもありました。

只でさえ儲け半分で年寄りがひっそりと営んでいる商店なのに万引きするなんて酷い!という気持ちで、現行犯でなければ取っ捕まえる事が出来ない為、小学生が店に来ると隠れて見張り、二回ほど現行犯で捕まえましたが、祖父は怒りもせずに許しました。

店番をしていたらツケ払いの人が結構いる事を知りました。

その場合は個人のノートに日付と商品名と金額を書き込みます。

支払ったらバツ印を書くのですが、ある人が3ヶ月前のツケも支払っていないのに又ツケで買い物をしていったので、祖父にそれを報告しました。

「もうツケを支払うまで買わせない方が良い」と私が言ったら祖父は「良いんだ、じぇんこ(金)のねえ人間からとれねーべ」と笑って言うので、私は子供ながらに理解に苦しみました。

ある日、祖母が「大変だー」と言って我が家に来たのですが、祖父は村八分にされていた男性を風呂に入れていたそうです。

村八分にされていた男性は、若い頃にヘルニアの手術に失敗し痛みを軽減させる為に酒を飲み、酔っぱらっては包丁を持って徘徊したりする人でしたから、村人は皆怖がって、その男性が包丁を持って歩き始めたら家の中にすっ飛んで逃げていましたし、私も母に家の中に入るように言われた事が数回有りました。

その男性が店に買い物にきて、体臭が異常に臭かったので祖父が「風呂に入ってるのか」と聞いたら「風呂釜が壊れて入っていない」と答えたそうで、「それならうちの風呂に入ってけ」となったそうです。

家に帰って来た祖母がそれを見て我が家に飛んできたという事でした。

大正生まれの祖父が亡くなったのは平成5年9月でした。

私は妊娠中だった為、葬儀には行けませんでした。

後に流産しました。

兄の話によると、小さな村なのに芸能人の葬式かと思うくらいの弔問客でビックリしたと言っていました。

皆、口々に「困っている時に助けて貰った」と言っていたそうです。

それを聞いて子供の頃のツケ帳簿や風呂・万引きの出来事を思い出し納得しました。

是枝裕和監督には是非、次回の作品KUMA脚本の「万引きされても怒らない家族」という題名の映画監督をお願いしたいなと思います(笑)

村八分にされていた男性を最後に見たのは十数年前ですが、その時その男性は大きな釜を持って道端の草刈りをしていました。

仕事でやっていたのか慈善事業でやっていたのかは分かりません。

手を止めてジーっと私を見ていたので、手に釜を持っていることもあり私は怖くて固まってしまいましたが、今思えばその顔は、全然怖くは無かったです。

それから間もなく、その男性が亡くなったという事を母から聞きました。

その男性の人生を思うと、何となく切ない気持ちになりました。

万引き常習犯で私が取っ捕まえた子は、大人になってから超大金持ちと結婚し、今はセレブだという噂です。

2015年、エレクトロニック・ハラスメント(テクノロジー犯罪)被害を自覚し会話型の音声送信が始まってから、その子の声も登場しましたよ。

私への復讐だとか何とかで、身体攻撃もワンセットでした。

私の記憶から導き出された人工知能の声でしょうけれどね。

人工知能は誰の声も物真似出来ます。

私は祖父のような寛大な人間にはなれませんが、そういう祖父がいたという事を誇りに思っています。

祖父の商店の会計の所には、祖父が直筆で書いた半紙がずらーっと並んでいました。

その中の一つが私は好きでした。

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人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

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これが徳川家康の言葉だとは、ネット検索などが出来る様になるまで知りませんでした。

http://www.edu-konan.jp/ishibe-jh/ikiruhint/tokugawa.html