2018年お盆の帰省No.4

法事の準備の忙しい合間に南国のフルーツの王様ドリアンを開封しました。

ドリアンは酒と一緒に食べたら死んでしまうらしいんです。
夜になったらみんな酒を呑むだろうから食べるなら今しかないと…

甥っ子姪っ子は全員“拒否”(笑)

兄も“絶対拒否”

年長の従兄と同い年の従兄弟と私の母、叔母達は食べてくれました。

言うほど臭くなかったです。

玉葱の腐った匂い(ガス臭)とパイナップルの匂いが混ざった感じで、味はパイナップルと桃の間…みたいな感じ。
食感は、よく言われる通りのクリームチーズの様でした。

従兄弟の子供2歳にも一口あげたら『😨』みたいな顔をしたのに、また「ちょうだい」と言ってきて、2回目はビックリせずに食べました(笑)

2玉買ったのに売れたのは1玉だけだったので冷凍して愛知県に郵送。

旦那にも食べさせたいと思います(笑)

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祖母の法事の後、祖母の遺影の前で私の母が踊りを披露しました。

赤い衣装を着ているのは私の母で、隣で踊っているのは母の兄嫁であり亡くなった祖母(後妻)の妹です。

叔母(母の兄嫁)は数年前からアルツハイマーを患っていますが、元々踊りが上手で品のある人でした。

私の母は「おばちゃんに踊りを教えて貰った」と言って一緒に踊っていましたが、実は別ルートで習っているものだそうです。
でもおばちゃんも母に乗せられ嬉しそうに踊っていました。

母の兄夫婦は私の結婚式に愛知県まで来てくれましたが、おばちゃんは私に「いつ結婚したの?」と聞いてきます。

「何でも忘れちゃうから悲しい~」と。

私の腕にしがみつき「あ~私、女の子が欲しかったんだ~」という仕草、そういう所は昔と変わっていません。

本当に優しい叔母でした。

アルツハイマーは最後には子供になってしまい排泄も所構わずしてしまいます。

叔父はおばちゃんが自分で排泄が出来る間は施設には入れず俺が見る、施設に入る時が来たら俺も一緒に施設に入ると言っているそうです。

最後まで見捨てない叔父、流石だと思いますが、頑張りすぎて共倒れしてしまわない事を祈っています。

私の母も兄夫婦にちょいちょい料理を作っ持っていったりしているそうです。

法事の料理は全て母が作りました。

けんちん汁などもあったのですが写真に撮り忘れました。

画像のはウニの三平汁とイカ飯。

イカ飯の準備、イカに餅米を入れる作業は兄と母と私と3人がかりでやりました。

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夕方、祖母の墓参りに兄と二人で行きました。

その後、私が5歳の時、母と離婚した私の本当の父方先祖の墓を兄に教えて貰い、生まれて初めて墓参りをしました。

古い墓石もあり「明治◯年」と書かれていました。
江戸時代が終わって直ぐに建てられた様です。
先祖代々…ではなく戒名が刻まれていました。
昔の平民の墓はそういう風だった(後で調べました💧)

兄は前から墓参りをしていたそうです。

父方のルーツが全く分からないままここまで生きていたのは問題だと思っていますが、交流が無いので知る術が有りません。

言えるのは、身長の高いイケメンな一族であるという事くらいです。

名字をネットで調べると、中国・朝鮮半島帰化系だと書かれています。

母方の先祖にはアイヌのシャーマンもいるらしい(それはいつか又ブログに書きます)

何だか超グローバルな話ですが、私は正真正銘の日本人です。

話が反れましたが墓参りをした時、兄が空を見て「UFOだ!」と言うので空を見たら飛行機雲がいっぱい…。

又、兄が「ケムトレイルだな~」と言うので「え?信じてくれてるの?」と言ったら「信じてない(笑)」と。

でも私のブログを読んでくれているんだなーと思いました。

有り難う、あにうえ(笑)

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夜は花火と、父が炭火を起こしてくれてバーベキューをしました。

認知症の叔母の息子(私と同い年の従兄弟)から、叔母(母)が認知症になって、父親(叔父)は被害妄想から精神病院に強制入院になってしまい、(自称)画家の兄は頼りにならず、自分は結婚して子供も出来たばかりで、如何に大変だったかという話を聴きました。

私は従兄弟家族がエレハラによって不幸にさせられている事を疑っていたし、その話を今回従兄弟にしたかったのですが、それは伏せ、先ずは従兄弟の話を聞くことに徹しました。

従兄弟は最初、母親を施設から出して連れて来る事に大反対で私の母とも電話で大喧嘩したのですが「連れて来た事は良かった、有り難うね」と言っていました。

私からエレハラの話は結局出しませんでしたが、何かあっても一人で抱え込まない事、孤立しない事、みんなで支え合おうねと伝えました。

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翌日13日、親戚も帰る日なのですが、私が一番に帰るという事で、親戚・従兄弟・母と兄がバス停まで来て見送ってくれました。

今まで帰省しても、こんな風に見送ってくれたのは初めてなのでちょっと困惑しました。

「又会おうね!」と手を振って、、、

こんなに大勢で見送ってくれるという事は、もしかして私死ぬのかな?…と思っちゃったんですけどね(笑)

どちらにせよ今回の帰省、祖母の法事、叔母との再会が出来て、本当に良かったし心残りは有りません。

もしもあと一年生き延びられていたとしたら、来年3回忌の法要で帰省した際は、幼なじみと声が聴こえるという兄に会いたいです。

あと従兄弟にエレハラの話をしたいと思います。
被害妄想を抱え込んでしまった父親と和解して欲しいです。

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函館空港に着いた頃、兄から「母さんの入れ歯が無くなった」という連絡が…。

私を見送り、認知症の叔母(4番目の姉)を見送った後に無くなっている事に気付いたらしく。

まさか認知症の叔母が持っていってしまったのかな?という珍騒動があったそうですが、その日の夜、洗濯で畳んだ父の服の袖下から母の入れ歯が発見されたそうで、そんな所に置いたのはきっと叔母でしょうね。

一件落着でした(笑)